他人に迷惑をかける文化

「文化⇒守られるべき」の誤り

文化とか慣習とか伝統と称して他人に迷惑をかける行事というものが沢山ある。 これらを批判した所で「文化を守れ」などと言われるのが落ちである。 オタクもこれと同じことを言っているのだが、オタクはいけないでも述べたように、文化にも色々ある。 いくら歴史があるからと言って、悪いことをいつまでも続けていてはいけない。 悪いことでも長く続ければ認められるなんて、そんな馬鹿な話はない。

「文化」という単語には「守られるべき」という意味が込められていることが多い。 「文化」と名の付くものは、中身も考えずに守ろうと思ってしまう愚民が多い。 だから、オタクも必死になって自分達のやっていることを「文化」と強調したがる。 飲酒や喫煙は文化であることに間違いないのに、これらは「文化」とは言われない。 「文化」が「守られるべきもの」という意味を持ってしまっているので、悪であると認識されているものには使われないのだ。

このような理由で、わざわざ「文化」と呼ばれる文化は質が悪い。 ここではそんな質の悪い「文化」の例を2つ挙げて考えていくことにしよう。

葬式の問題

やはり真っ先に思い浮かぶのが葬式だろう。 誰かが死ねば関係者は有無を言わさず仕事を放り出して参加させられる。 香典を取られたり、更に葬式の手伝いをさせられることもある。 勿論これらは法律で定められている訳ではないので、頑として行かなければ良いのだが、そんなことをすれば翌日から周囲からの冷たい視線が待っているだろう。 そんな愚民なんて相手にしなければ良いのだが、嫌でもそんな人と付き合わなければならないのが社会というものである。

近所というだけで駆り出されることもあるだろう。 参加しなければ「こっちは人が死んでいるのに何とも思わないのか」と言われそうだ。 勿論面と向かっては言わないだろうが相手はそう思っている。 出来ればここで「その通り。貴方の家族が死のうが私には関係ない」と言いたい所なのだが。

本当は、皆葬式なんかに行きたくないと思っている。 行きたい人だけが勝手にやれば良いと思っている。 しかし誰か一人が行かなければなぜか腹が立つ。 「マナー違反」と言われるのだろうが、皆が不幸になるマナーなんて要らない。 突き詰めれば自分の主張を通せる人に対する嫉妬である。 行かなかった結果に対する損害で自分は困ってしまうから、それでも困らない人が妬ましい。 お互いの考えが分かれば良いのだが、それは容易なことではない。

これは皮肉だが、葬式で他人を駆り出すことに賛成の人は裁判員制度に賛成でなくてはならない。 人の死後に何をやっても意味はないし、裁判員が参加する裁判は1審だけで控訴されれば終わりだ。 どちらも意味のないことを関係のない人に強制するということだからだ。

子供を怖がらせる祭の問題

なまはげに代表される、子供を怖がらせたり泣かせたりする祭が幾つか存在する。 子供にとっては、大人の自己満足の為に迷惑を被るというとんでもない話だ。 このような祭に子供を参加させる親も問題だ。 其奴は自分の楽しみの為に子供のことなんてそっちのけにしているのだ。 大人が子供に肝試しをさせるというのも同じようなものだ。

子供を怖がらせるということは、元は教育の為に行われたものだ。 しかし子供を怖がらせるというのはあくまでも手段であって、目的であってはならない。 確かに小さい内は、怖がらせなければならないような時もある。 それでも、怖がらせるというのは少なくとも良いことではないから、最後の手段にしなければならない。 親として複雑な気持ちで行うものだ。 所が祭ではそれを平気で行い、それどころか怖がらせること自体が目的となってしまっている。 誰も教育の為になんて考えて参加していない。

それにしても子供を怖がらせて楽しむなんて悪趣味だ。 こんなものを文化財なんかに指定してはいけない。

2008年10月15日 救世主かける様(http://gumin.xxxxxxxx.jp/)

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