音楽とは何か

以前に救世主かける様が運営していたサイトでも同じ曲を公開していて、沢山の感想を頂戴したのだが、その殆どは「そもそも曲になってない」とか「リズム感が全くない」とか「メロディが聞こえない」といった批判だった。 別に愚民に批判されても何とも思わないし(寧ろ愚民に喜ばれるとそれには問題のある可能性が高い)、「これがかける様音楽だ」と突っ撥ねておしまいにしてしまっても良いのだが、今回は特別にまともに反論してみることにする。

現代日本でも一般的になっているポピュラー音楽は、A4=440Hz前後とした十二平均律(或いはそれに近いもの)である。 ピッチを変えたりすることもあるが基本的にはそうだ。 これだけなら全てのかける様音楽はまともな音楽である。 本当は十二平均律に囚われずに、様々な周波数の音を用いても良いのだが、一般人にも受け入れられやすい平均律の中でかける様音楽の世界を表現しようと試みたのと、MIDIでそこまでするのも面倒だったので、結局は平均律にした。 しかし、それでは駄目だという感想が多数派のようだ。 ではかける様音楽と一般的な音楽は何が違うのか。 一般的な音楽にはあって、かける様音楽にない要素とは何なのか。

その答の例が、リズムやメロディだと感想でも言われた訳だが、ではそれらがなければ音楽ではないのだろうか。 そもそも、かける様音楽はポピュラー音楽であるとは一言も言っていない。 「かける様行進曲」はリズムがないのではなくあれがかける様音楽独特のリズムであり、「かける様ピアノ曲第1番ハ長調」は最も高い音がメロディだと言ったらどうするか。 更に言えば、世界中を探せばかける様音楽でなくても拍子のない音楽や、十二平均律に収まらない音楽だってあるのだ。 勝手にポピュラー音楽だと思い込んで、その型でしか判断出来ないような愚民に音楽を語る資格などない。

尤も、そんな愚民でもポピュラー音楽でない音楽、例えば雅楽とかを聴いたりしても、ポピュラー音楽の型でしかそれを見ずに「これは音楽の型にはまっていない」などと馬鹿なことは言わないだろう。 それは既にどこかで聴いたことがあるからだ。 ではどこかの知らない国の民族音楽を聴くとどう思うか。 最初は変な音楽だと思うかも知れない。 しかし、それらが伝統的な音楽だと知れば、どうせかける様音楽のように一概に否定したりはしないだろう。 結局は、単に救世主かける様が嫌いだから音楽も否定したくなっているだけではないのか。

言っておくが、「腐った世界」等の一部の曲は、れっきとしたポピュラー音楽だ。 4/4拍子でメロディもはっきりしていて、おまけに4小節で1フレーズになっている。 平均律にするどころか、ここまで一般的な型に降りて来て、100歩どころか10,000歩くらい譲っているのに、それでも駄目だというのは、メロディや和音が不快だからだそうだ。 まあ、「腐った世界」はその名の通り腐った世界を表しているからそれで当たり前で、流石救世主かける様という所なのだが、他の曲に関しては、そもそもどんな曲が美しいと思うかは人それぞれなので、救世主かける様は自分の音楽を美しいと思う、としか言いようがない。

本当に自分はかける様音楽を美しいと感じない、と言うならばその人にとってそうなのだろう。 音楽の美しい美しくないに絶対はないから、自分の価値観を他人に押し付けることは不可能だ。 これは逆も同じで、かける様音楽は駄目だと決め付けることも出来ない。 自分はそう思うからと言って一口にかける様音楽を否定する奴は、自分とは違った価値観を認めることの出来ないただの愚民である。 その一方で、かける様音楽を気に入っている人も少なからずいるようなのだ。 かける様音楽は、確かにポピュラー音楽の型をかなり破ってはいるのだが。 やはり、単に救世主かける様が嫌いだから……となってしまっているだけということも大いに考えられる。

ただ、自分は好きではないとはっきり言えることは良いことだ。 救世主かける様は神で、神が作った音楽だから、と言ってそれに押されてしまうと、行き着く先は作者のネームブランドだけで価値を判断してしまう美術品の世界になってしまうのだから。

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