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真のメディア・リテラシーへ

これまでのまとめ

まず、これまでの私の主張を箇条書きでまとめておく。

  1. 「マスコミを批判的に見る」とは、「マスコミを嘘だと思う」「マスコミの主張の反対が正しい」ということではない。「マスコミであることを忘れて、自分で判断せよ」ということである。
  2. メディア・リテラシーとは「マスコミを」批判的に見るということではない。全てのメディアに対してメディア・リテラシーは必要である。
  3. もし「マスコミを」批判的に見ることを強調する人がいたら、その主張自体にもバイアスがかかっている。それは単に自分の異端な主張を通すための方便であるケースが殆どである。
  4. 多くのメディア・リテラシー教育で「マスコミを」批判的に見ることばかりが強調されるあまり、インターネットなど、より信用できないメディアを盲信してしまう人が続出している。
  5. もっと言うと、メディア・リテラシーとは「自分の判断を疑え」ということ。自説に好都合な情報ばかりを集めて、不都合な情報は嘘やネガティブ・キャンペーンということにしてしまうものではない。
  6. したがって、自分と考えの合わないマスコミや人を「マスゴミ」「マスゴミに踊らされている情報弱者」などと罵り、耳を塞ぐためのものでは決してない。
  7. 偏向していない情報なんてないのだから、なるべく多くのメディアから情報を取り入れるのが良い。「マスコミは見ない」「マスコミはネットに駆逐されるべき」というのは大きな間違いである。
  8. マスコミ盲信世代がいきなりメディア・リテラシーなんて言われたら、「マスコミを嘘だと思う」ことだと勘違いするのも無理のないことである。
  9. 一方でネット世代にとっては、元々マスコミに権威なんてないから、そこにメディア・リテラシー教育を加えたら、彼らはますますマスコミを嘘だと思うようになるだけである。
  10. メディアスクラムと同様に、ネットでも炎上や関係者への突撃が起きているなど、メディア・リテラシーに限らず、メディア問題はマスコミだけの問題ではなくなっている。
  11. 現状マスコミよりマシな存在が見つからないため、マスコミを少しでも良くしつつ、ネットとマスコミが互いに欠点を補完し合っていくのが一番である。

殆どのメディアは「マスゴミ」

考えてみればマスコミなんて、「メディア・リテラシー」という言葉が広まる前から「みんなの嫌われ者」だった。 真偽が不明な情報を垂れ流し、大事件が起こると大勢で関係者に押し掛ける。 新規参入が不可能、格安の電波料、番組制作会社からの搾取、押し紙など業界の問題も数え切れない。 「セシウムさん」問題で、テレビ局の中では日常的に事件の関係者を馬鹿にして遊んでいるらしいということも分かった。 これらはネット右翼が言うような、「反日的」だとかどうでも良い問題ではなくて、全て客観的に見て重大な問題である。 もしかすると日本で最も嫌われており、最も闇の多い業界なのかも知れない。

それなら、皆でテレビや新聞を見るのを止めて、広告を出すのも止めて、マスコミなんて社会から追放してしまえば良いではないか。 個人的には、マスコミは「事実を淡々と報道するだけ」でも問題ないと思う。 どうせ日本で言論弾圧なんて起こり得ないし、今のマスコミにそれを止める能力もないし、それよりも頻発する報道被害の方が問題だ。 権力監視を理由にした2ちゃんねるの擁護論が現実離れしているのと同じ。 「なるべく多くのメディアから情報を取り入れるのが良い」と書いたが、五紙が揃って法人減税・消費増税・TPPに全て賛成だったり、正直に言って大手マスコミに言論機関としての価値があるのかどうかは大きな疑問である。

ところが現実はそうはならない。 マスコミは影響力を下げつつも生き残っている。 恐らく、大手マスコミに代われるような存在が他にないからだろう。 反マスコミのフリージャーナリストには胡散臭い人が多いし、人気取りの為にマスコミを叩くことが目的化している。 マスコミには誰もが何かしら不信感を持っているものだし、暴力団と違っていくら叩いても、報道されないだけで自分に危害が及ぶ訳ではないから、フリージャーナリストにとっては、バッシングして金儲けをするにはマスコミは最適の対象なのである、と言ったら穿ちすぎだろうか。 2012年3月、2ちゃんねるへの強制捜査で、ようやく2ちゃんねるで2ちゃんねるの運営に対する批判が溢れることになった。 「マスゴミが嫌いだから2ちゃんねるを利用していたら、いつの間にか2ちゃんねるがマスゴミ以下になっていた」との書き込み。 ようやく気付いたか、という感じだ。 再び主張を翻すが、マスコミが「事実を淡々と報道するだけ」になった代わりに、マスコミ批判が目的化しているフリージャーナリストや2ちゃんねる利用者のような奴等が世論をリードしていくようになるのなら、それはもっと御免である。 「優秀なジャーナリスト」というものは、「優秀な政治家」並に稀な存在。 大手マスコミの影響力が落ちれば社会が少しはマシになると思ったら大きな間違いなのである。

現代日本の殆どのメディアは「マスゴミ」。 我々はマスゴミの中から、少しでも良い情報を見つけていくしかない。 ネチズンがすべきことは、反日報道みたいなどうでも良いことに対してではなく、報道被害など業界問題に対してスポンサー問い合わせをすることだ。 そもそも大抵マスコミへの抗議というと、フジテレビ抗議デモを含めて、反日的だとか低俗番組だとか、比較的軽い問題に対してばかりで、真に重大な問題に対して視聴者は鈍感すぎる。 被害者が取材の自粛を求めている(幸いにして、自粛を求めていること自体はいつも報道される)にも拘わらずメディアスクラムが続いているようなら、皆で抗議の電話を掛けるべきなのである。 但し、電話で抗議をしたりスポンサーを降りたりするというのは、宗教団体や財界、すなわちマスコミ以上の「悪の組織」の手口であるということも自覚しておかねばならない。 十分な議論の末の実行でないと、今度は我々が「悪の組織」になってしまうので注意が必要である。 ネット右翼のような言い掛かりではなく、正しくマスコミを批判する。 それができるのはネットしかない。 そして、2ちゃんねるの管理者の責任を徹底追求する。 我々はこうして、世の中のマスゴミを少しでも良くしていくしかないのである。

歪んだメディア・リテラシー

一時期の広辞苑の独特な仮名遣いから「麻生は『心ずかい』と書いたのは正しかった」と勘違いしたネチズン(この件で、日刊スポーツは慌てて麻生批判の記事を削除。マスコミ自身にも「嘘を見抜く力」がない)。 東日本大震災では、冷静に見れば問題とは言えないような取材・報道にまで難癖を付けていた。 くどいようだが、メディア・リテラシーとは「マスコミは間違い」という前提でマスコミを見ることではない。 橋下の支持者は「マスコミは橋下をバッシングしているが……」と言い、反対者は「マスコミが橋下を後押しするから……」と言っている所が面白い。 「メディア・リテラシー」なんて格好良いこと言って、結局は自分と違う意見を言うのが許せない、というだけではないのか。 マスコミの、自分と違う意見の所だけを見て批判する人が多すぎる。 あろうことかメディア・リテラシーを説く人が、「一部だけを抜き出す」というマスコミの悪い癖を真似してしまっているのである。 まさに「メディア・リテラシーに対するメディア・リテラシー」すなわち「メタ メディア・リテラシー」が必要なのである。

「メディア・リテラシー」という言葉が普及してどうなったかと言うと、人々は違う意見の人を「マスゴミに踊らされている情報弱者」と馬鹿にするようになってしまった。 今までは「あなたの情報源が正しいという根拠はどこにあるのか」と突っ込まれたら終わりだったが、メディア・リテラシー教育を受けた人は、自分は「マスコミを疑う」ということを知っていて、真偽を判断する能力があると思っているから、逆に以前より自説を曲げなくなった。 つまり、余計に厄介なことになってしまったのだ。 メディア・リテラシー教育は見事に失敗している。 他人を情報弱者と馬鹿にするということは、自分が情報強者だと思っているということだ。 自分で自分を情報強者だと思っていることが、情報弱者であり、メディア・リテラシーを理解していないという何よりの証拠。 自分を情報強者だと思っている人が情報弱者で、自分を情報弱者だと思っている人が情報強者である。

最後にもう1度繰り返そう。 メディア・リテラシーとは、マスコミを間違いだと思うことではない。 メディア・リテラシーとは、自分に都合の良い情報だけを取り入れることではない。 メディア・リテラシーは、違う意見の人を情報弱者と馬鹿にするためのものではない。

2012年4月24日 救世主かける様(http://gumin.xxxxxxxx.jp/)

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