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メディア・リテラシー

ネットは週刊誌以下

今まで掲示板では何度も取り上げてきたが、1つのコラムにしたことはまだなかった、ネットを盲信している人達の問題である。 最近は、「メディア・リテラシー」という言葉がよく言われるようになった。 要するに、マスコミの情報を、嘘や偏向のことを頭に入れて批判的に見よ、ということだ。 メディア・リテラシーを言うのは、これはこれで結構なのだが、それを「マスコミの情報」だけでなく「ネットの情報」に対しても言わないと、マスコミ盲信ではなくてもネット盲信になってしまう人が続出する、という話である。

ネット上では、とにかくマスコミは諸悪の根源のように扱われている。 まあ、実際マスコミの問題は山ほどあって、それに対する批判はマスコミは重く受け止めなければならないのだが、どうも彼等のマスコミ批判には引っ掛かるものがある。 マスコミの嘘や偏向に対し、ネットは真実と思っている人が多いことだ。 一見ネットは誰でも自由に発言ができるから、マスコミが書けない事実と、マスコミの誘導に影響されない平均的な世論が書けて、正しく世論形成ができると思いがちだが、実際はそう上手くは行かないのだ。

誰でも自由に発言ができるということは、嘘も自由に書けるということだ。 ネットは自由だから、互いに誤りを指摘して自然と真実に近付いていくと思うかも知れないが、真実に辿り着く方が難しいことも多いのだ。 例えば、創価学会は電磁波で会員の洗脳や批判者の健康被害を起こすことができる、という説がある。 典型的なトンデモ科学なのだが、是非ここで一度「創価学会 電磁波」と検索して、それはトンデモだと指摘しているページに辿り着けるかを試してみて欲しい。 こんな説は、ある程度科学的知識のあるまともな人にとっては反論するのも馬鹿らしく、わざわざページを作って反論したりはしない。 その結果、電磁波攻撃説を信じている人のページばかりがネット上にはできることになってしまう。

確かに、もし本当に電磁波攻撃が有効なら、創価学会なら科学者を口封じしてでもやりかねないし、会員からの嫌がらせを受けた人ならそんなことを思ってしまうかも知れない。 でも、間違っていることは間違っている。 馬鹿の為に一応言っておくが、「それでも創価学会は悪の組織というのは変わらないから、結論が正しければそれで良い」というのは間違っている。 逆に創価学会に「批判者はこんなトンデモ説を言う狂った人ばかりだ」と言われたらどうするのだ。 批判は根拠が確実なものを以てしよう。

嘘でなくても、ネットの偏向には酷いものがある。 直ぐに思い付くのが韓国人・中国人に対する差別だ。 ネットは誰でも自由に発言できるから、ネット世論は平均的な世論だと思ってしまいがちだ。 しかし、韓国人・中国人を差別しない人はそもそも何も言わないから、ネットには差別発言しか出ない。 ネットでは人前で言えないことも言える。 それは、正しいがタブーで言えないというようなことなら良いが、大抵は差別や偏見であり、それがネットに溢れることになる。

色んな意味での自由度が低い順に並べると、大手マスコミ、週刊誌、そしてその次にネットが来る。 確かに偶にマスコミが言えない事実を暴くことはあるけれど、だからと言って安易にネットを信用してはいけない。 基本はネットの嘘と偏向は週刊誌よりも多く、偶に真実を暴くこともある、程度の認識であるべきだ。 週刊誌は、嘘が多いという常識があるのに対し、ネットにはそれがないのが問題なのだ。 ネットは週刊誌以上にメディア・リテラシーが要求される。

ネット盲信

先述の通り、マスコミ盲信ではなくてもネット盲信である、という人が増えている。 ネット盲信と言っても、彼等は「ネットは真実」なんて言ったりはしない。 寧ろ「メディア・リテラシー」という言葉が好きで、自分で考えようとよく言う。 しかし、それをしきりに言う人程ネットの情報や世論を盲信している傾向にある。 マスコミと正反対の主張をしているから、自分は考えてものを言っているのだと思っているだけで、実際は自分で考えられていないのである。 メディア・リテラシーとは、「マスコミは間違い、ネットは正しい」ということではない。 勿論、「ネットは間違い、マスコミは正しい」ということでもない。 それらを自分で考えよ、と言っているのだ。

彼等は、マスコミの偏向報道をしきりに批判する。 確かに本当に悪質な偏向報道もあるのだが、どんな情報でも多かれ少なかれ偏向しているということを忘れてはならない。 対立する意見を並べるにしても、どうしても後に述べた意見の方が印象に残ってしまう。 もし偏向していない情報があると思っているのなら、それは偏向に気付いていないというだけだ。

これからはネットを中心に世論形成をしていくべきで、マスコミはただ事実を報道するだけになれば良い、という人がいる。 別にマスコミが何か主張しても良いではないか。 それを盲信してしまう人が多いのが問題なだけだ。 偏向報道が酷いからテレビや新聞を止めた、という人もいる。 情報は偏向しているのが当たり前なのだから、テレビや新聞、勿論ネットも含めて、なるべく多くのメディアから情報を取り入れれば良いだけの話だ。

彼等は、ネット批判をする人は、マスコミ盲信の情報弱者か、ネットに自らの問題を暴かれている集団によるネガティブ・キャンペーンだ、と思っている。 後者は勿論マスコミによるネット批判も含んでいる。 確かに、マスコミによるネット批判はネガティブ・キャンペーンの意味もあるかも知れない。 でもその批判は当たっている。 ネットにも、2ちゃんねる批判のようにタブーが存在する。 それをマスコミに指摘されることだってあるかも知れない。 もし、マスコミは基本的に間違ったことしか言わないと思っているのなら、それはメディア・リテラシーがないということであり、マスコミ盲信と何ら変わらない。 そんな人がネットをするのはまだ早い。

2005年、言論弾圧になるとして人権擁護法案に対する反対運動がネットで盛り上がった。 私の知る限りでは、後にも先にもこれを上回る反対運動は見ていない。 まあ、人権擁護法案にも全く問題がないということではないのだが、言論弾圧などという現代日本ではとても起こりそうにないことでも、ネット盲信になると本当に起こると思ってしまう。 更に、マスコミが人権擁護法案を報道しないのを、大した問題ではないから、ではなくネットの言論弾圧はマスコミにとって好都合だから、と思ってしまうとネットを疑うことができなくなる。 ここまで来るともはや隠謀論だが、実際そんな人が数多くいるのである。

ネットの情報に対しても言おう

以上の問題を考えると、少なくとも現状ではネットを中心に世論形成はしない方が良い。 ネットは大手マスコミ、週刊誌の次のメディアであるということをしっかり頭に入れて、ネットの情報はマスコミ以上に注意して取り入れるようにしたい。 ネットは情報収集と、マスコミが言えないタブーを補完する程度の存在になるのが丁度良い。 ネットがマスコミに代わってしまうと、また同じ問題が起こるだけだ。

メディア・リテラシーを、「マスコミの情報」だけでなく「ネットの情報」に対しても言わなければならない。 メディア・リテラシーを言う知識人は、それをマスコミの情報に対してしか言わないことが多い。 もし、「ネットの情報を批判的に見よなんて、ネットは誰でも自由に発言できるのだから言わなくても当たり前ではないか」と思った人は、マスコミ盲信の中で育った若くない人か、賢い人だ。 実際、メディア・リテラシーを言う知識人はそのどちらも当たっている。 物心が付いた時からメディア・リテラシーが言われている若い人や、あまり賢くない人だと、ネットは誰でも自由に発言できるからネットにこそ真実がある、という結論に達してしまうかも知れないということを忘れてはならない。

序でに、「批判的に見る」という言葉も実はあまり良くない。 あまり賢くない人だと、「嘘だと思って見る」と受け取ってしまう可能性があるからだ。 そう受け取られるとネット盲信になってしまう。 本当は、「情報元に左右されずに見る」と言うべきで、そう言えばマスコミだけでなく一般論として言えるのだが、それを実践するのは難しい。 だからある程度は情報元も参考にするのが現実的な方法なのだが、それが行き過ぎると盲信になってしまい、その匙加減が難しい。

子供が「マスコミを盲信してはいけない」と言って来ると、昔は褒めてあげても良かったが、最近は「それではネットはどうか」と聞かなければならなくなった。 それを無邪気に褒めてしまう親や先生もいるのではないか。 彼等をあまり責めるつもりはないが、マスコミ盲信にはならなくてもネット盲信になってしまう、ということを知っておいて欲しい。 ネットの情報に対するメディア・リテラシーは、マスコミ盲信の人にはマスコミの情報に対するメディア・リテラシーから説明しなければならないし、賢い人はそもそも言う必要がないと思っている。 メディア・リテラシーがネットの情報に対してもよく言われるようになるまで、まだまだ時間がかかるのではないかと思われる。

2010年3月22日 救世主かける様(http://gumin.xxxxxxxx.jp/)

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