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モンスターペアレントの反動

自分が苦しんだから他人も苦しめ、では良くならない

学校に無茶な要求をするモンスターペアレントが問題になり批判されている。 しかし、どうもこのモンスターペアレントに対する批判を黙って見てはいられない。

最近は、児童・生徒も教師の足下を見ていて、自分に手を出せば相手は処分を受けるということを分かっていて反抗するという。 このような現状に対して、「昔は教師に反抗したことが分かると、家でも殴られた」などと言う奴がいる。 まさか昔のように戻せと言っているのではあるまいな。 昔もまた悪いと分かっているのなら、わざわざそんな例を持ち出すこともないからだ。

こんなことを言う奴は「今時の餓鬼は甘やかされすぎているから、ちょっとは鍛えてやれ」とか思っているから、こんな愚民の言うことを聞いていると悲惨な歴史が繰り返されるだけだ。 保護者の言うことが絶対に正しいということもなければ、教師の言うことが絶対に正しいということもないのである。 教師が問題のある指導をしても何ら処分されず、それどころか被害者である児童が更に家でも殴られる。 昔は保護者は、教師は絶対的な存在だと思って思考停止していたが、今はそれに異論をぶつけることが出来るようになっている。 それだけでも今の方がマシではないか。

普通は、両方向に揺れつつもその揺れは次第に小さくなっていき、最終的には望ましい点に収束するのだが、こんな奴がいると、折角進歩した所もあるのに再び昔と同等に、或いはそれよりも酷い所まで逆戻りしてしまう。 いくらネットが酷いからと言って、ネットをなくしてしまえとまで言う人はいない(一部のマスコミや政治家はそう思っているのかも知れないが)。 所がこの問題に関しては、あまりにも極端な話しか出て来ない。 子供の教育を親と教師がそれぞれどこまで分担するか、どのくらいの程度の注意まで認めるか、そこから話を始めなければならない。 まあ、結局は子育ては免許制にするしかないのだが。

25人の白雪姫

モンスターペアレントの例として「25人の白雪姫」という話がある。 学芸会で白雪姫をすることになったのだが、「我が子を主役にせよ」との保護者の要求を受け、白雪姫役が25人も出来てしまったという話だ。 別にこの要求を支持するつもりはないのだが、これに対する批判も困ったものがあるのである。

そもそもこんな要求が出るのは、本当は誰も学芸会なんてやりたくないことにある。 もし皆が学芸会をやりたければ、もっと謙虚にその役に相応しい人をお互い推薦し合うだろうからだ。 嫌々やらされて、しかも悪役だなんてとんでもない、という結果こうなったのだ。

25人で白雪姫を演じなければ納得行かないような学芸会なんて止めてしまえば良いのだが、何奴も此奴も本来の役の人数でやれとしか言わない。 こういう奴は放っておくと、「友達と共同で何かを行って友情や絆を深めるべきだ」とか阿呆なことを言い出す。 嫌々共同で何かをした所でろくなものが生み出される訳がないのである。

こんなことを言うと、「社会では嫌な人のいる集団で、嫌な役を押し付けられることもある」とか言われるのだろうが、それを身を以て教える必要はないということだ。 2005年、「女王の教室」というテレビドラマがあった。 児童に社会の理不尽を教える為に教師自らが理不尽な存在となって、児童にそれを乗り越えさせるという内容のものだった。 いくら現実がそうだからと言って、それと同じことをすれば其奴も悪なのである。

大体、学芸会は楽しみの為にやるのではなかったのか。 まず学芸会ありきで、後からそれを行う理由を考えてしまっている。 本当は順番が逆で、集団で何か楽しいことをしようと考えて、その結果が学芸会なのであって、楽しくなければ別に学芸会なんかに大した教育の意味があるとは思えないし、もはやする必要はなくなる。

モンスターペアレント問題はセンセーショナルに言われていることもあって、最近は親の要求と言うとろくなイメージがない。 だから彼等の言うことは何でも間違いだと思ってしまい、正常な思考が出来なくなってしまっている。 誰が言ったかに関係なく、正しいことは正しい、間違っていることは間違っているのである。

2008年11月6日 救世主かける様(http://gumin.xxxxxxxx.jp/)

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